〜 晶子リサイタルの仕掛人の女医、俳人 〜
八木三日女 氏

堺・泉州の顔

全国的な視野から「八木三日女」という名前を見ると、俳人として有名で、特に 1950 年代中期に鮮烈なデビューを飾った女流俳人として知られている。
師の平畑静塔をはじめ、西東三鬼、鈴木六林男、金子兜太、赤尾兜子など句作を通じてキラ星のような交遊関係の中で第一句集「紅茸」を発行。表紙カットは富士正晴。第二句集は安西冬衛らとの交流の中で「赤い地図」。第三句集「落葉期」に至っては、序詩を草野心平が書き、表紙文字が金子兜太。第四句集にあたる作品は講談社「現代女流俳句全集・第六巻」として発売。そして第五集がギリシャ行きを中心とした「石柱の賦」。
その間に、本名下山ミチ子では眼科医として開業し、堺女医会の一員として奮闘。小児科医として知られる八木和歌穂さんから
「堺女医会の中では、下山さんがすごい。俳人としても全国区だし、晶子をうたう会の活動もすごいから」
とのこと。

その「晶子をうたう会」は15年前に始まり、毎年五月に「与謝野晶子リサイタル」を開いている。八木三日女さんはその代表世話人だが、今年[1997年]は15回目の記念すべきリサイタルで、5月24日土曜日に堺市民会館で開催(開演予定は6時)。
司会は毎年、浜村淳さんで、天理大の太田登氏が詩歌監修、音大の益子務氏が音楽監督といったメンバーで展開。それらの調整役などすべて八木さんが中心となってがんばっておられるのだが、昨年のフィナーレでもそうであったように、全出演者が編曲の斉藤正浩氏の指揮のもとに「君死にたまふこと勿れ」を歌う時、苦労も疲れも吹っとんでしまうとのこと。
この晶子リサイタルを開いている晶子をうたう会では、第5回の時の記念として堺市民会館に歌碑を建立している。またノルウェーの文部大臣(女性)を招いて堺女子短大のキヤンパスに「山の動く日」の碑も建立している。
こう見てくると、晶子をうたう会は、単に晶子の詩に曲をつけて歌っているコーラス団体ではなく、晶子の歌や作品や生き方を考えると共に、その歌や詩を歌い、そして現代女性の生き方(すなわち男性の生き方をも)を活動の中で問い続けているグループなのだということがわかってくる。そして俳人でありながら晶子に関わる八木さんの生き方も理解できるのである。堺に生まれ、堺高女(現泉陽高)から大阪女子医専(現関西医大)を出て市大で博士号取得。俳人、医師、晶子をうたう会などの中で八木さんの中心は?とお尋ねすると、
「私の本当の職業は主婦よ」

 堺泉州出版会『堺・泉州:泉州やさかい、そや堺』第2号より転載


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