第1章:原初心性と毛皮・皮革

 

四つ目の方相氏 

平安神宮で今も毎年行われる追儺式(ついなしき)に      

現れる方相氏は、元はクマの毛皮を纏 ったという。

1 裏返しの死衣

ベックマンの奇妙な記述  

商品学・商業史研究の分野で古典的な地位を占める著作に、ヨハン・ベックマンの『西洋事物起原』

(邦訳三巻本)がある(1)。ベックマンが生きた十八世紀までの各種日用品や産業素材の来歴と普及

の様子、技術的な特性、生産・利用の方法などをたどった興味深い「商品史百科全書」の先駆作である。

ベックマンの業績に関しては、わが国の商品学のテキストでは「古い時代の単なる百科事典的な記述」

とみる少々皮相な過小評価もあるが、果たしてそうであろうか? 他の類示の歴史書では全くふれられる

ことのない興味深いエピソードや知見も随所に含まれており、筆者には、今なおベックマンの業績には

学ぶべき多くの点が残されているように思える(最近に至って岩波文庫に収録され、また人気作家の

荒俣宏氏の解説で小学館から『モノここに始まる』のタイトルで編訳本も出ている関心のたかまりから

鑑みても、そのことは確かであろう(2)。 そのベックマンの『西洋事物起原』の中に毛皮の歴史を記した

項目がある。毛皮史の研究をはじめて以来、筆者は折にふれその項目を読み返してきたが、本書を書く

段になって、実はそのベックマンの記述の冒頭部には、少々奇妙な内容があるのに気づくことになった。

「かつて技術未発達の時代には、毛皮を裏向けにして身にまとうことがあった」というのである。 一見、

何とはない「ありきたりの史実」であったと思えるようであるが、しかし近年の民族学や考古人類学・

民俗学・社会史研究の成果にも目を配りながらよくよく熟考してみると、毛皮をわざわざ裏向けに着る

という風習の根底には、実は「死と再生」をめぐる祭祀や儀礼との関わりが見え隠れしてくる。そして

それは原始・古代の文化に普遍の、人類史に共通した「心性」に係わる問題であったことが読みとれて

くるのである。  わざわざ裏向けに毛皮を着るのは、単に昔は「なめし」の技術が未発達で、原皮を内側

にして毛を外にすればケモノの嫌な臭いが付きまとったから、という訳ではない。特に死者にそうさせる

のは、「裏側に在る世界」、すなわち死後の世界での着用を原始・古代の人達がどうしても必要と考えた

からなのである。しかもそれは単に「この世の裏側にある世界」での利用ということではなく、そのような

形式での着用を儀礼的に済ませることによって、より一層強い生命力に護(まも)られてのこの世での

再生や生まれ代わりが祈念されたのである。古代人の心性にとっては、死の問題は誕生(再生・復活

としての誕生)の問題とパラレルに意識されていたことが見落とされてはならない。わが国でも生まれた

ばかりの赤子に特別に胞衣(えな)を着せて赤子が死者の再誕であることを

象徴化した習俗が各地に伝えられているのは、我われ日本人自身の原初の

心性との関わりの根強さを改めて確認させるであろうし、少なからず我われ

日本人自身の驚きを誘うことにもなるだろう。しかも、例えば岐阜県には

天照大神の胞衣(えな:胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めたと伝えられる霊峰

「恵那山」(元の名は「胞山」と いう)が存在するし、日本各地にも天皇や空海

など高僧の臍の緒を埋めたという伝承のある「胞衣塚(えなづか)」が無数に

存在している(3)。(写真の胞衣塚は大阪市東成区東小橋3−9に現存するもの)

更には、狩人が獲物を殺して皮を剥いだ後に、獲物の死骸に毛を裏向けて着せる毛祭や毛祝(けほがい)

をして弔う風習が古くからあり、動物に対しても人間の葬法と同様に「逆さ皮」の伝統があったことも想起

しなくてはならない(4)。そうすることによって、獲物はあの世で再生復活し、やがてまた人間にくり返し

恵みをもたらしてくれると考えられたのである。右のような事例は、わが国縄文時代の遺跡やドイツの

原始古代遺跡など、世界各地の文明圏でも共通していたことが知られてきている。 とくに死者の亡き骸

や動物の死骸に対して毛皮をわざわざ裏向けに纏わせる風習が広くさまざまな文明圏に存在したのは、

原始・古代の人類の「心性」が、そうした風習をどうしても必要としたからである。生者もまた、単に防寒の

ためにではなく、「呪術的な着用」をこそ意識し、ケモノの皮を被ることでケモノの持つ力や人間にはない

摩訶不思議な能力・霊力と一体化することが実感されていたと考えられる。筆者が目を通した服装の歴史

の概説書や毛皮史の書物は、どれも古代人が防寒のための「実用的な必要」と「呪術的な必要」とから

毛皮を利用しはじめたことを安易に併記しているが(5)、しかし、自分たちで狩り獲ったエモノを解体し

その毛皮を剥いで着用するとは、そのエモノの魂や怨念をいわば直接身にまとうということであり、「呪術

的な必要」こそが、恐らくはより(、、)本質的な機能であったと考えて良いはずである。現代人の我われでも、

鬼の面を被ったり何か棒状のもので動物のツノを真似たりすれば、「ウォ〜」といった不気味なうなり声を

思わず反射的に挙げたくなるというのは、ごく一般的な感情であるだろう。毛皮や動物の面を装着すること

は、人間の原初的な生(なま)な感情に直接訴えかけるのである。  太古、人々は死者には死後の世界が

在り、その死後の世界は現実世界と絶えず実際に交接・交流しているものだと考えていた。「あの世」は

「この世」とは異なる「異界」であるには違いなかったが、人々の意識の中では「この世」は常に「異界と共に

在るもの」としてとらえられた。霊魂の実在を実感し、霊魂が棲む世界をこの世とまったく同等な実体のある

ものと感受していたからである。定時的に時間を計る時計や暦がない時代、人々には「時間」という概念さえ

なく、「死後の世界」は茫漠とした永遠の「重さ」をもっていたであろうし、地図のない時代、森の闇や海の

怒濤は底知れない不安を原初の人々に抱かせつづけた筈である。 原始・古代の心性にとってはこの世の

人間の肉体は、いわば霊魂の「仮の住処(すみか)」であった。いま在る肉体が滅びれば、霊魂は生まれ

代わって別な動物や別な人物としていつか再びこの世に現れるものとみなされた。つまりは輪廻転生、永劫

回帰の思いである(6)。太古、「表」や「裏」、「この世」「あの世」という言葉・概念さえ存在しなかった頃から、

ヒトは弔いの儀式を何らかの形で儀礼化しなければならなかったが、毛皮を裏向けに着せることは、死者を

悼むだれもが納得できる象徴的儀式の一表現であった。

■ 原初のシンボリズム

ところで、言葉や概念の未発達ということから当然導き出されてくるのは、古代人の「ものの感受の仕方

の全体性」ということである。この点について最も先駆的で体系的な考察を行なった研究家として、我われ

にはエルンスト・カッシーラーの名が思い浮かぶ。  カッシーラーは『シンボル形式の哲学』の中で、次の

ように書いている。

  「神話的思考の〈より原初的な〉段階に遡れば遡るほど、主観的=人格的存在の

鮮明 さ、つまりその明確性と確定性が減少してゆくということは、一般に明らかである。

   原始的思考の特性は、ほかならぬこの思考にあって人格的存在の見方や概念にまだ残   

っている独自の流動性とはかなさとである(7)。」  

 多少難解な文章ではあるが、つまりは手短に言えば、太古の原始的心性におけるほどヒトが自分自身

を一個の個人として感じる可能性は少なく、霊魂や精霊と肉体とが混然と交わりあっている生(なま)な感触

を、より強くトータルなものとして実感したのだ、ということであろう。まさに、「そこには、身体的なものから

切りはなされた、自立的・統一的な〈実体〉としての霊魂はなく、霊魂とは、身体に内在し、必然的に身体と

結びついている生命そのものに他ならない」(同三〇二頁。) したがって「死者もまた依然として〈存在して

いる〉のであり、その存在は物理的なものとしてしか捉えられないし、物理的にしか記述しえないのである」

(同三〇三頁。) こうした原初的感受の全体性については、ユング『こころの構造』など多くの研究書の中で

しばしば指摘されており、ほぼ異論はないといって良い。   右に引用した記述は恐らくはカッシーラーの

考察の中でもひときわ重要な部分で、同訳書八九頁以下の同様な記述をくり返し参照すべきことを

カッシーラー自身がわざわざ注記している。その八九頁以下には次のような記述がある。

    「神話的思考にとっては生の領域と死の領域も確然と仕切られてはおらず、この二つ

   は存在と非存在のような関係にあるのではなく、同一の存在の同種・等質な部分なの

   である。・・・・・・こうした見方からすると、肉体的存在でさえも、死の瞬間に突

   然に破壊されるわけではなく、ただその舞台を変えるにすぎない。死者の崇拝はすべ

   て本質的に、死者もまたその存在を保つ物理的手段(食糧や衣服や所有物)を絶えず

   必要としているという信念にもとづいている」(八九九〇頁。) 「すべての神話

   的行為には、真の化体(トランスズプスタンツィアツィオン=行為の主体がその行為

   によって示されている神や悪霊に変わってしまうこと)が果たされる瞬間がある。

        ・・・・・祭祀は、人間が世界を精神的というよりもむしろまったく物理的に支配 するための

真の道具なのである」(九三九四頁。)

古代人のある者は毛皮をわざわざ裏向けにして着ていた、という何気ないベックマンの記述の

裏には、恐らくこうした「霊魂の物理性」とでもいうべき強い実感が人類普遍の感受形式として

存在していたことを推測させる手がかりがひそんでいるのであり、原初の心性に共通した感受

の「原型」がかいま見られるということが見落とされてはならない。太古、ヒトは誰もが異界の

霊魂や精霊を「手ざわり」「肌ざわり」のあるものとして身近に感じて日々を暮らしていたのであり、

しかも目に見えないモノの力の方が目に見える世界のモノが持つ力よりもずっと大きいことを

実感していたのである。数々の昔話や伝承がさまざまな奇跡や動植物とのふしぎな交流に

満ち満ち、無数の民話の中でモノノケが人々の運命の決定的な変転と密接に結びつけられて

いる理由は、まさにこの点にこそ由来する。 そう考えると、「巡礼者の着替えは古い人を脱ぎ去り、

新しい人を着ること」と述べ、「衣服は霊的な体」と述べる聖パウロの言は、如何にもシンボリック

である。アニミズムやトーテミズム、シャーマニズムなど、原初の人類の中に芽生えた色々な思考・

信仰体系が社会の中で実際の効用や大きな意味を持ち、神話が「力」をもった秘密も、こうした

人類普遍の「感受の仕方の全体性」と「異界との交接の現実感」に求められるのである(8)。 

毛皮を纏うことはそうした意味において、仮面を被ることや入れ墨を彫りつけることや身体変工

(抜歯、割礼、身体一部の故意の変形)と相似の社会的機能を担っている。ケモノの毛皮を纏う

ということは、決して単に防寒やファッションのためにではなく、そうした霊界との絶えざる交接・

交流と、いわば折り合いを付けるための、象徴的・呪術的な「実感」を伴っていたものと理解

されなくてはならないのである(9)

 

 

 

 

 

 

 

2 ケモノをまとう心性

■ 皮をまとう者:姥皮伝説とシペ・トテック

 ベックマンが伝えた毛皮を裏向けにまとう話ばかりでなく、改めて調べてみると、人間と毛皮・皮革の

関わりに関しては、さまざま奇妙なことが伝えられている。たとえば生皮をまとう、頭皮を剥ぐ、王座や

貴い身分の衣装を特定の毛皮で飾る、皮革や毛皮を扱う職種を聖別したり差別したりする、冥界への

往き来に動物の面や皮を被る・・・・・。日本を含め今なお世界各地に伝わる地方ごとの祭や儀式を

鑑みても、動物(ケモノ=毛者・毛物)の仮面や毛皮を被って奇妙な異形の霊体をシンボリックに表した

ものがすこぶる多い。というより、世界中どの民族の文化も「例外なく」と言ってよいくらい、動物の仮面

や皮による何らかの変装・変身との結びつきを抜きにしては、まったく成り立たないのである。  動物の

皮をまとうという習俗の一例としてまず最初に挙げておきたいのは、室町時代以降にさかんに伝えられた

という「姥皮(うばかわ)」の物語であり「姥皮型」の同種の昔話である。  民話の研究家や民俗学者の間

では、人間と人間以外の動植物・精霊との合体・婚姻をストーリーの基本とした変身物語・異類婚姻譚を

「シンデレラ型」説話と「姥皮型」の二つのタイプに分類している。後者「姥皮型」はヨーロッパでは「金の

ドレス、銀のドレス、星のドレス型」と言われている。「シンデレラ型」というのは、

(1)物語の主人公が異形の者・異質な者として継母など周囲の者から虐げられ、

(2)魔法による助けを受け、

(3)王子と出会い、

(4)正当な者であることが証明され結婚などの形で幸福を得るという型の物語、

「姥皮型」というのは、

(1)実父からの虐待、

(2)王子との出会い、

(3)再会と結婚を主要な話の筋道とした物語である(10)。

「シンデレラ型」説話については、シンデレラとリス皮との関連について論じた箇所で別途ふれる

ことになろうが、ここで今取り上げたいのは「姥皮型」の類型の方である。 人間と人間以外の

動植物・精霊との合体・婚姻をあつかった異類婚姻譚の中でも日本全国に分布して、もっとも数

多く知られたのが「蛇婿入り」の話である。そこにも「姥皮」が係わってくる。「蛇婿入り」の物語は

最も古くは『古事記』崇神天皇の三輪山伝説に類話がみられ、『雨月物語』や中国唐代の『宣室志』、

一三世紀朝鮮の『三国遺事』、沖縄の『御嶽由来記』『遺老説伝』などにも同系の挿話が含まれている。

そのあらすじは、「娘の元へある日どこからともなく見知らぬ若者が通ってきて、明け方には帰ってゆく。

日に日に痩せ衰える娘を案じた両親は、糸を通した針を若者の着物の裾に刺させ、その糸をたどって

ゆくと山奥の洞穴の中に針の刺さったヘビ(脱皮をする生き物であり、世界中で復活再生神話と結び

ついている)が横たわっており、若者の正体が本当はヘビであったとわかる」というものである。この話

には、マメを炒ってヘビの正体を暴く、針の刺さったヘビの会話を立ち聞きして正体を暴きヘビの子を

堕ろす、蟹が報恩を示すためにヘビを切り殺す(岡本綺堂作の戯曲に「蟹満寺縁起」がある)、末娘が

ヘビを退治して蛙の化身の婆からもらった姥皮によって長者の息子の嫁となる、などさまざまなヴァリ

エーションがあるが、ここで「姥皮」という奇妙な魔法の媒体が登場することに着目しておきたいのである。

  「姥皮」というのは作者不詳の御伽草子有名な物語であるが、起源は御伽草子成立よりずっと古い(11)。

御伽草子では、尾張国の成瀬清宗の先妻の娘が継母の虐待に絶えきれずに出奔し、尾張岩倉の甚目寺

(電話で由来を問い合わせたところによると、尾張三十三観音巡礼の第十六番礼所として有名な鳳凰山

甚目寺とは異なるようである)の観音堂に参籠、その折に観音さまより身をやつす姥皮を与えられて近江

国へ赴けとの霊夢を得ることから話が展開する。娘は近江の佐々木清高邸で年老いた火焚き姥となるが、

ある夜、姥皮を脱いだところを主人清高の子高義に見初められ、めでたく結ばれてやがて栄華を得る、と

いう筋立てである。 この姥皮の昔話が「姥皮型」としてティピカルに類型化されるほどに広く分布したのは、

実父や継母に受け容れられない困難な状況(共同体の日常性からの排斥・逸脱)を脱するのに、「皮を被る」

というシンボリックな行為が求められ、それが実質的な変身・変質の機能を持つと実際に考えられたということ

を意味している。かつてはどの文明圏でも、共同体の中で排除され「社会的な死」を迎えるということは

すなわち奴隷や隷属民など最下層の身分に零落するということをさえ意味することもあったが(12)、皮を

まとい異形の者となることは、恐らく、その「社会的な死」の状態から抜け出すための「い」でもあったに

違いない。皮をまとう所作は、この世(共同体)の中でのノーマルな生活をなくした者を一旦「あの世」や異界

に送り出すためのシンボリックな儀式的行為だった筈なのである(13)。  ところで、皮をまとうという伝説

や風習は日本の姥皮伝説ばかりでなく、世界中にさまざまな形で伝えられている。その中でも、我われに

もっとも異様な印象を与えるのは人間(捕虜・奴隷・生贄)の皮を剥いでまとっていたとされるアステカの神

シペ・トテックの伝承である(14)。  ヒトの生皮を二重にまとう姿を描いたその神像は、如何にも「異界の者」

の相貌である。ヒトの目や口が二重になり、「人間の脱皮」を表しているかのようである(実際、そうイメージ

されていたのである)。こんな発想は現代人がどれほど想像をたくましくしても出てくるはずの無いもので

あるが、原始・古代の心性にはリアルでごく自然なものであり、シペ・トテックは「皆の神」として広く受容

される一般性をもっていたのである。それはいったい、何故であるのか? 

  シペ・トテックは古い作物(トウモロコシ)が春に生まれ変わる象徴であると解釈されている。

毎年、春の播種の時期に生まれ秋の収穫期に「死」を迎えて、翌年にまた生育と稔りと収穫を

繰りかえす穀類に、太古の人々は死んでは再生し復活する穀物神の存在を実感していたので

あるが、新しい外皮をかぶることによって人々は再生=復活への祈りを象徴化し、穀類の再生

プロセスとの一体化を祈願したのである。シペ・トテックをまつる祭はアステカ暦の二月、太陽が

生まれ変わる春分の月に催されたものである。そうオた心性の精神的な水脈は実は古代オリ

エント一帯に伝わったヘラクレス伝説や、それを母胎としたイエス=キリストの復活神話にまで

連なってくるという大変に興味深い史実が何人かの神話学者や人類学者によって指摘されて

きている(15)。 穀物神とは、穀物・豊作の守り神というよりも、原初の心性にとっては、復活し

再生する穀物そのものであり、その穀物の「よみがえり(蘇り、黄泉帰り)」を通じて顕現する不可思議

神聖な霊力そのものであった。実際には、穀物の種子は「ただの一植物の種子」であり、土に播かれる

と土壌中の栄養分を吸収して細胞分裂を繰りかえし、胚や子房の単純な組織がより複雑な組成をもつ

ようになり、光合成作用で成長して花を咲かせ、実を稔らせるだけ(、、)のモノである。しかし太古の人々

には「細胞」や「光合成」という言葉はなく、植ィ学的な知識や概念はまったく整ってはいなかった。種子の

内部での目には見えない化学的・生物学的な変化は、すべて天地の神々や超自然の神秘な力によって

ひき起こされる不思議な現象と思われていたのである。 どこの文明圏でも必ず神や精霊が存在し宗教や

呪術が発達したもっとも基本的な理由は、いわばこうした科学的知識の完全な欠如にあった。顕微鏡もな

く分子やタンパク質といった基本的な概念さえ無かったのであるから、当然といえば当然のことであった。

そうした観察器具や客観的思考の基準となる科学的概念を欠いたまま、人々はいつでもどこでも、できる

限り自然を合理的・全体的に矛盾無く説明しようとしてきた。古い伝統をもつ宗教儀礼や祭礼が、今の常識

的感覚から例外なく奇妙な不合理性を感じさせるのは、どこの文明圏でも、ごく最近に至るまで客観的な

科学の普及とは無縁であったにも関わらず、全ての事象を全知の神の完全な知識として無理に説明しよう

と企図し、そうでありながら、自然や霊魂との全体的な調和に包まれた生き方を求めようとしてきたからなの

である。 毛皮や生皮を被るということは、とりもなおさず祖先の霊が宿る動物・動植物の姿とこの世の自分

とが一体化することであり、死と復活と再生の霊魂のサイクルの中に我が身を置くということであった。仮面

をかぶって祭儀を執り行うことも、動植物の模様を模した入れ墨を体に彫りつけることも、また動物の脂肪

から得た香油を体に塗って日常の生活者から聖別することも、毛皮の着用に通じる意識・心性を伴っていた。

因みに、「油を注がれ聖別された者=救世主(メシア)」を信仰して遠い祖先による加護と同朋の繁栄を祈願

したキリスト教が歴史に姿を現した淵源のひとつも、実はそこにこそ求められるのであり、生皮をかぶった

異様な風体の神シペ・トテックが「皆の神」として崇拝されつづけた心的な背景も、そうした「死と再生と復活

のサイクル」への帰属心にこそ求められるのである。この点を見定めておけば、我われは古来の人類文化の

無限の多様性と複雑さを徐々に読み解いてゆくことができるだろう。

■ 呪物が織りなす文化:トーテムと皮衣

以上のように、毛皮をまとう心性の本質を考察してゆくと、次には自ずと我われは我われの遠い祖先の

心の中に芽生えた呪術や魔法の起源をたどり、そして先祖や動物などの供養に関わる祭礼や習俗の

成り立ちにも目を向けてみたいという思いを抱くことになる。毛皮を第一には単なるファッション素材として

感受している我われ現代人には見過ごされがちな点であろうが、どの文明圏においても、ほとんどの時代

にわたって、毛皮服はショーウィンドウに飾って売られていた訳ではないことをまずはしっかりと念頭に

置いておくべきなのであり、ヒトとケモノとが直接に「狩る」「狩られる」の関係の中で対峙し合った日常を、

我われは再構成してゆかなくてはならないのである。 さて、ワナを仕掛け狩りとったケモノには、毛皮や

生皮ばかりでなく、血みどろの内蔵や歯、爪、目玉、尻尾など、さまざまな特定の部位がついている。

そのそれぞれには、たいてい、マジカルな意味づけや機能が与えられていたのである。さまざまな文化圏

の中で、毛皮や尻尾や歯など動物の体の一部を特殊な呪物とみなした例はすこぶる多く、現在でも「幸福

をもたらすアメリカ・インディアンの土産物」などとしてウサギなど小型獣の尻尾が売られたりしている。成人

の儀式や各種通過儀礼において若者が動物の体の一部を何らかの形で着用し、その動物に対する支配力

や同化をもって一人前の共同体成員になるとされる事例も世界各地に残っている。アラパホ族インディアン

の儀式では、成人儀式の行われる数日間の内に守護霊が現れ、「普通それは人間の姿をした小動物である

が、走り去る時には動物の姿をとる」のであり、毛皮の着用がその儀式において最もシンボリックな役割を

果たす。鳥の羽やライオンの爪、魚の鱗なども同様な呪術的機能を持つことが多く、「キツネやテンの獣面を

身につけていればすべてがうまく行く」と伝える伝承も知られている。そして、毛皮の着用は祖先の霊の化身

である動物の霊との交合をもたらし、シャーマンやメディスンマンやトーテムポールが生まれたのである。

北米先住民のイロクォイ族やプエブロ族の間では、病気というのは「殺された動物が狩猟者に復習するために

うつるものだ」と考えられた。そこで仮面舞踏の姿を借りた狩猟儀礼がうまれ、病気の治癒と動物との和解を

祈る儀式がさかんとなったのである(16)。ある加入儀礼で用いられる薬袋について考察したJ・G・フレイザー

の次の文言も、こうした毛皮のシンボリズムに係わっている。

 「袋はその外形が動物の姿をとどめるように作られ、材料にはその動物の毛皮が用い

  られる。グループ(秘密結社と解される)の個々の成員は細かな、奇妙な、とるに足り

ない物をしまっておく袋を身につけており、それが「開人のお守りであり、魔除けなの

である。・・・・・・根本において動物とつながりのあるこうしたお守りや魔除けこそが数々

の昔話に登場する<不思議な贈り物> の原型である17)」。

 

未開人や原初の心性には、獲物を狩りとる道具や狩りとった獲物の身体の一部にその動物

の種族のすべての霊が宿ると感受されていたらしいのであるが、現代においても位牌や墓石

の中にすべての祖先の霊が眠っているという実感が保持されているということを考えれば、

原初の心性にとって毛皮をまとい動物の仮面をかぶることやトーテムを祀ることがどれほど

リアルな実感を内包していたかは自ずと看取できよう。今でも狩猟用道具そのものを呪物

として崇拝する儀式が世界各地に見られたり、馬のたてがみや尻尾を祀って馬を呼び出す

まじないが見られたりするのは、そうした原初の心性の顕現の証左でもある。

  シベリアや北米の先住民の間に伝わる死の国・異界への「渡り」をモチーフとした昔話にも、

主人公が動物の皮に身を包むか、その死体の中へもぐり込むという場面がよく出てくる。ウラジ

ミール・プロップ『魔法昔話の起源』によれば、アフリカの牧畜民やヴェーダ時代のヒンドゥー教徒

を含め、獣皮をかぶせる儀礼が各地の加入礼に見られ、動物との一体性が祈願されていたという。

新加入者たちは狼、熊、水牛などの皮を着、それら動物の動きをまね、トーテム動物に紛して踊る。

トーテムは「自己の分身 alter ego」であり、人間の先祖は様々な動物の姿をした人間」として捉え

られるのである(18)。同様な観念は数々の狩猟民族の葬礼や神話の中にも見いだすことができる。

シュテルンベルクによれば「人間は死後、自分のトーテムである動物になるのであるから、そのこと

は当然、葬礼にも反映する。死者はトーテムである動物の皮に包まれる」のである。そうした習俗は

ナンセンやラスムッセンといった探検家も世界中で観察しており、チュクチャ族やトリンギット族に

伝えられた獣皮や羽毛を用いる渡りの儀礼もまったく同質なものである。アフリカの牧畜民ジャガ

族では「誰かが死ぬと、家畜を持っている者がその中の一頭を殺し、その皮で遺体を包む」という

習慣がある。「死者は死ぬ時に敷いていた獣皮で包まれ、故人をしのぶ泣き歌が八日間続いた。

しかしこの熱い地方は死体がじきに強い悪臭を発はじめるので、それを雄牛の皮でくるんだ。それ

がもはや用をなさなくなると、二枚目、三枚目、四枚目、五枚目の皮と取り替えていった」。大酋長

が死ぬと祖先の習俗に従い、「雌牛の皮で遺骸を包み、湖で三日間泳がせた」というフロベニウス

の記述もプロップは紹介している。

 ヴェーダ時代のヒンドゥー教徒にも同等な習俗が見られたが、(頭の上には頭を置くなど)雄牛の

体の対応する部分で死体をおおったり、死体といっしょに山羊を焼いたりしていた。火の神アグニ

が死者を炎に包んで連れ去ると考えられたのである。『リグ・ヴェーダ』では「アグニに抗して、雌牛

の諸々の部分の膜でみずからをおおえ」(第一〇章、一六、七)と語られている(19)

 ドイツでは死体を包むのにその獣皮が用いられる雌牛に対し、Umlegetier すなわち「身にまとう

動物」という専門用語が確立していたという点についてもプロップは言及している。「頭、足、尾の

ついている動物の皮を、毛の生えている方を表【「裏」の誤り?】にし、それで死体をおおった」という。

 

獣皮とメタモルフォーゼ

 ところで、獣皮をかぶる習俗は、広くは「変身」に係わる文化の脈絡の中に息づくものとして

位置づけられる(20)。その「変身」とはさらには、すでに述べてきた通り、死と再生をめぐる原初

の心性に根づくものと考えられよう。毛皮を被り、常とは異なる異装の者となることで、ヒトは命

を奪った獲物の死の世界との交点を獲得し、死の世界(祖先の国)の祖霊や精霊と交信し、命

の再生を期して絶えることのない豊穣や豊猟を願ったのである。日本では古くは天皇に娘を

貢上する際、一族の者が「すっぽりと獣皮を被って伺侯した」が、それは「自分をいったん祖先

の姿に戻し、祖先の国からの献上物として娘を差し出した」ためであるらしい。トーテム信仰に

みられるのと同じく、ケモノは祖霊の化身とも考えられていた(この辺りのエピソードから、狩猟と

天皇の地位の関わりも多少かいま見れるようであるが、詳しくは後に第二章の「狩猟と王権」の

項目で検討する)。獣面を被り再生を祈願する習俗は世界中至る所の新年行事や婚礼・葬儀

にもみられるもので、中国唐代の正月行事(元宵観燈)や古代イランの新年行事、古代ローマ

のイシス神祭での仮装行列など数多くの事例が知られている(21)。新年行事や婚礼・葬儀に

そうした事例が多いというのは、それら行事やイヴェントこそがまさに「死と再生」の瞬間であり、

異界(死の世界、動物界、神の世界)との「境界」がその時にこそ最も明白に現出するとみなされた

からである。ヒトが獣面を被るのでなく、神像や聖像に毛皮や獣皮(後には布や紅袴)を掛ける

風習も全世界的にみられるもので、井本英一氏によると、地蔵尊のよだれ掛けや観音像への

掛け布、行円上人(通称は「皮上人」と伝えられる)の革衣などもそうした風習と同質の文化的な

脈絡の中にあるものである(22)。なお、拙著でコメントした通り、地蔵は元は六道(りくどう : 天道・

人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄)の境界に立ったとされるヘルメス型の道祖神である(23)

地蔵は、はっきりとした由来がたずねられることもなく日本中いたるところの路地に祀られて

おり、拙宅の近所でも一、二丁ごとの間隔で「地蔵まつり」が毎夏開かれているが、その地蔵に

掛かる赤い前垂れが獣皮を通して異界との交接をはかろうとした原初の心性にも遠く連なるもの

であることを思うと、実に大きな驚きを禁じ得ない。これは、何も筆者だけが抱く思いではないで

あろう。現代の我われ自身もまた、死と再生に係わる原初以来の変身の文化の水脈に浮かべ

られた存在なのであり、一人一人がその伝統的な心性の直接の継承者なのである。

【▼ 方相氏】

 
変身=再生と獣皮・毛皮が結びつく事例は、他にもまだ幾らでも挙げることができる。日本では

すでに述べた姥皮の昔話はもとより、(諸説あるものの)結婚式の角隠し・お色直しも霊力を宿す

毛髪(毛皮の一種と考えて良い)へのマジカルな対応や「よみがえり」のための変身と起源的

には結びついていたと考えられる(24)。本来、日本語で「毛」は「ケ(気、怪、界、化)」に通じる

言葉であり、「髪」は「カミ(上、神)」に通ずる言葉であったと考えても、決して的外れではない。

今でも節分には“鬼は外、福は内!”の「(まじな)い」と共に豆をまく家庭は多いであろうが、その節分

の行事として平安神宮や京都吉田神社、長田神社(神戸市長田区)など全国の寺社でさかんに

行われている式(鬼やらい、鬼追い)は、元もとは大晦日に行われたもので、方相氏と

呼ばれた呪師がクマの皮をかぶり、黒い衣装に四ツ目の黄金の目の面をつけ、疫鬼を追い払う

まじないとしてはじまったものである(25)。獅子舞は、今では都会ではほとんど見られなくなって

しまったものの、死と再生を獣面で演技化・儀式化した最もポピュラーな事例といえる。福島県の

会津獅子舞や埼玉県川越の獅子舞(石原町の「さゝら獅子」)、新潟県熊生町白山神社の獅子舞、

鳥取県岩見郡宇部神社の春祭獅子舞など、地方を代表する祭事のように伝えられてきたものも

少なくはない(26)。もっとも「獅子舞」とは言っても、古くは獅子だけでなく、龍やシカやイノシシなど

色々な動物の獣面を用いた多種多彩なものが一般的であったらしい。「獅子」が居ない場合には、

当然、クマやシカなど祖先の霊と結びつくと考えられた身近な動物ないしは「祖霊にふさわしい」と

考えられた動物が選ばれたのである。

ともあれ、『神社名鑑』等のレファランス類やインターネットのキーワード検索で「追儺式」「方相氏」

「獅子舞」などを検索してみると、海外のものも含め無数といってよいほど多くの関連事項を検索

することが出来、こうした儀式・祭礼に関連づけられた心性が如何に「当たり前」の身近なもので

あったかが窺い知れる。しかも一例として、例えばヴェトナムのテトなどの旧正月行事でも獅子舞

が今なお盛んに行われていることなどを鑑みるだけでも、普遍的な原始・古代の文化の古層や

原初の心性の共通項の拡がりが、朧気ながらも確かに見えてくるのである。

 最も広く「(なま)な形」で獣面と変身の結びつきがみられるのはアフリカの諸部族である。アフリカの

多くの仮面舞踏では、人間や動物が死ぬと命(霊力)が体内から抜け出るとみなされるが、仮面は

それを捉え、その仮面を装着した踊り手の体を変容させるとみなされている。踊り手は未だ自分自身

でありながらも、仮面の内蔵し表出する霊力を用いて、自分とはまったく異なったマジカルな存在と

化す。その存在とは、霊や神話伝説に顕れる動物であり、この世に一時的に形を与えられて霊の力

を結集する実在物とみなされる。パブロ・ピカソが出会ったのは、こうした実在物に内蔵された原初の

心性であった(27)

 中国では上に述べた正月行事の他に神判に破れてケガレを負った者の新たな再生を念じて牛馬

の皮に包んで河川に流す例があった(28)。清朝宮廷の冬至・正月儀式でテン皮やキツネの毛皮が

さかんに珍重されたことは『燕京歳時記 : 北京年中行事記』(29)から窺い知れるが、そのことについて

は当時の毛皮交易の具体的な展開にふれながら、後に本書の第6章と第7章で改めて論及する

予定である。

 ヨーロッパでも原初の心性と動物(毛皮・仮面)との関わりは、まったく同様である。ヘロドトスはその著

『歴史』の中に、アテナ女神の再生に皮衣が掛けられたことやテーバイのゼウス像に獣皮を掛ける習慣

があったこと、ヘラクレスがライオンの皮をまとって眠ったこと、スキュティア人が敵の生皮で衣服や矢筒

の被いをつくったこと、カスピオイ人やパクテュエス人が獣皮をまとい戦闘に出陣したことなど、獣皮・

人皮にかかわる記述を数多く書き残している(『歴史』巻二・四二、巻四・一八八、巻四・八、巻四・六四、

巻七・六七など)。いずれも、獣皮・毛皮の内蔵する呪術性への強い「実感」を前提としてのものである。

中世ヨーロッパではそうしたマジカルな実感は悪魔的なイメージにも結合し、冥府のハデスが纏うのは

オオカミの毛皮とされたし(30)、魔術師はサバトに行く折、たいていはオオカミに変身し、魔女もオオカミ

の毛皮の靴下留めを着ける、などとみなされた(31)。今に伝えられる動物面が主役の祭も多い(32)

 こうした事例の他に、古代中近東や韓国、ベトナム、シベリア、中南米、太平洋諸島など、ありとあらゆる

文明圏で獣皮・毛皮に関連した同等な習俗や祭礼・儀式がみられ、『アラビアン・ナイト』(「バスラの

ハサン」「荷かつぎ人足と乙女たちとの物語」)や『グリム童話集』(「ロバの若さま」「黄金の子ども」「千びき

皮」)などにも同種の挿話がみられる。獣皮・獣面を媒介としたメタモルフォーゼは、いわば通文化的な

普遍性をはらんでそれぞれの文化の中に浸透してきたものと理解されなくてはならないだろう。 

C・G・ユングは名著『心理学と錬金術』の中に「世界はシンボルを介して語る」という名言を書き

付けている(33)が、ケモノの仮面や獣皮こそが最も一般的で最も普遍的なシンボル素材であろう。

世界各地の多くの民族の間では、動物は仮面を被った人間であると信じられ、また人間は動物の

仮面や生皮をまとうことによってその動物に実際に変身するのだとみなされてきた。鳥類も同様な

心的構成の中に織り込まれていたのであり、たとえば北アメリカのハイダ族にとってはカラスとは

「カラスの羽を身にまとって鳥のフリをしている人間」なのであった。イヌイット(エスキモー)たちが

ワタリガラスを人間の化身とみなして今なお祖先伝来の豊かな精神文化を維持していることも、

そうした普遍的な原初の文化体系の現れのほんの一例である(34)

 ヨーロッパではクリスマスから翌年一月六日(御公現日)までを「十二夜(Rauhnächte、燻し夜)」と

呼んで今でも各地でさまざまな仮面劇(Percht, Perchta)が催されている(シェイクスピアの喜劇

として有名な『十二夜』は『Twelfth Night』で、正確には『()十二夜』、つまりは一月六日のこと。この日

を「三聖王祭」として祝う地方もある)。 なおチロル各地では十二月五日が「クラウバウフゲーエン」、

ミッテルンドルフやブライテンバッハなどでは十二月五、六日が「ニコロシュピール」「ペルヒテン

シュプリンゲン」と呼ばれる仮面祭の日で西洋版「ナマハゲ」と藁人形が悪霊を祓ったり、動植物の

成長を司る精霊を呼び覚まして回るが、そうした「Perchta」の開かれる「Rauhnächte」の語は、元もと

「毛皮 ruch」に由来しているのである(35)

動物は一つのシニフィアンを顕示すると同時に、多義的なシニフィエを象徴する。その明快さと

多義性こそが、恐らくヒトの心をいつの時代にも、世界中で捉え続けてきたのである。したがって、

仮面や獣面に係わる儀式や踊りは、はっきりと誰の目にも印象深く、この世とあの世の間、日常と

異界の間、ハレとケの間をしきりに往き来するものとして演出されなくてはならない。すでにみた

シペ・トテックは、そうした演出に最適のキャラクターであったといえる。人の肺など内蔵をえぐり

出して神に捧げるという中世に至るまで北欧のヴァイキングなどにみられた一見残酷きわまりない

儀式や様々な文明圏にみられたの儀式なども、そうした歴史文脈の中で解釈されなくては

ならない。アステカやヴァイキングのような異様な風習が、なぜ広く普遍的に存在してきたのか?

 ——それは、ヒトの心性が常に死者や精霊と「共に」現実の中に在り、死後の世界や霊魂の世界を

リアルな実体として感取し、現実世界はそうした形で「当たり前の世界」として存在していたから

である。霊魂は「霊体」として、物理的な「手ざわり」のある実体として、いつも人々の身のまわりに

在った。そして、死には再生のための儀礼や祭祀がどうしても必要であり、それなりの意味のある

特別な行為が必要であった。生皮を被ることや犠牲獣の毛皮をわざわざ裏向けにして死体に

かぶせる行為は、そうした必要から生まれたのであり、いつの時代どの文明圏でも、世界は

まさに動物(いきもの)のシンボルを介してこそ語られてきたのである。

 



(17)J.G.Frazer, The Golden Bough (Oxford University Press, 1994) 316, 686. ウラジミール・プロップ『魔法昔話の起源』(斎藤君子訳、せりか書房、1988年)193-195. また、住友和子編集室『お守り動物園』(INAX出版、1996年).

(18)マンフレート・ルルカー『鷲と蛇:シンボルとしての動物』(林捷訳、法政大学出版局、1996年)54頁、61.

(19)『リグ・ヴェーダ』の引用箇所はプロップによる。ただし、岩波文庫、辻直四郎訳では、82頁以下に「アグニの歌」の章があるが、同等な記述は見あたらない。代わりに246頁以下「葬送の歌」の章に、次のような記述がある。「牡牛の部分によりて、アグニに対する鎧をまとえ。脂肪と脂膏とをもって、完全に身を覆え。」

(20)井本英一「獣皮を被る人」(『大阪外国語大学学報』第77号、1988年)、後に同氏の著作『習俗の始原をたずねて』(法政大学出版局、1992年)の「変身の文化をめぐって」の章に収録。以下、この項目の記井本氏著作うところが.

(21)石田幹之助『長安の春』(平凡社、1967年)、アプレイウス『黄金のロバ』(呉茂一ほか訳、岩波文庫)下巻149頁、井本前掲書、207-208頁)

(22)井本同上書、216頁、220.

(23)拙著『交易と心性:商業文化史の表層と深層』(太陽プロジェクト、2003年)30.

(24)井本前掲書、240-241.

(25)段成式『酉陽雑粗』(今村与志雄訳、平凡社「東洋文庫」、1980年)第2巻、293.

(26)河竹繁俊・柳宗悦監修『日本郷土図鑑:風俗・民芸・芸能』(大阪日日新聞社1956年、17頁以下、文化庁監修『日本の奇祭』(有朋社、1983年).

(27)J.Laude, Les arts de l'Afique Noire (Paris, 1966) 196-203, 250-251.

(28)阿部謹也『刑吏の社会史』(中公新書、1978年、後に筑摩書房『阿部謹也著作集』第2巻、1999年に収録)にヨーロッパでのまったく同等な事例が挙げられていることを、井本氏は前掲書236頁で指摘している.

(29)敦崇『燕京歳時記:北京年中行事記』(小野勝年訳、平凡社東洋文庫」、1967年).

(30)A.H.Krappe, La gen é se des mythes ( Paris, 1952) 226.

(31)グリヨ『妖術師・秘術師・錬金術師の博物館』(林瑞枝訳、法政大学出版局、1986年).

(32)芳賀日出男『ヨーロッパ古層の異人たち』(東京書籍、2003年)。なお、芳賀ライブラリーのサイト(http://www.hgpho.to/home.html)も参照.

(33)ユング『心理学と錬金術』(池田紘一・鎌田道生訳、人文書院1976年)67.

(34)星野道夫『星野道夫著作集』新潮社、2003年).

(35)前田彰一「仮面の諸相」(水之江有一ほか編『祭りのディスクール』多賀出版所収、1993年)135-159頁、谷口幸男・遠藤紀勝『仮面と祝祭:ヨーロッパの祭にみる死と再生』(三省堂、1982年)。なお、芳賀前掲書(11-13頁)やヨーロッパの祝祭日を紹介したインターネットサイトなどから、クリスマスにつきもののサンタクロース伝説も、本来は「ナマハゲ」の類や世界各地の類似の動物仮面祭に関連を持ったものであったことが判る。